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ノルシュテイン氏、
アート・アニメーションのちいさな学校生徒作品を講評。
〜若きものつくりたちへのメッセージ〜

2009年10月11日。ユーリ−・ノルシュテイン氏がアート・アニメーションのちいさな学校に来校。
氏の言葉から生まれたこの学校にとって待ちにまった日である。
開校から3年目。その間に生みだされた生徒たちの作品を何としてもみてほしい。そんな思いから昼間部の生徒作品を中心に選ばれた12作品の上映と講評を含むシンポジウムが実現した。
参加希望者は地下劇場に入りきらず、上のライブラリーで中継。
ノルシュテイン氏より一人一人の作品に対して鋭く丁寧なアドバイスがあり、作家を目指す生徒たちにとって大きな糧を残すシンポジウムとなった。

SPEAK:ユーリ−・ノルシュテイン / 翻訳:児島宏子



挨拶

このホールにいる皆さん、上にいる皆さん、通りを歩いている皆さん、私は日本中の人に挨拶したい気持ちでいっぱいです。
しばらくこちらには来ていませんでしたが、その間に新しい世代が生まれましたね。
本当にここに来て挨拶ができてうれしいです。しかし、私は主役ではありません。私がここに来たのは皆さんと一緒にある仕事をするためです。
それでは余計なことは言わないで、早く皆さんの作品を見ましょう。
それで前もって断っておきますが、非常に厳しいことを言われてもそれは生涯の糧になるので、そのように思ってください。
もし政権や権力、そういったものに対する批判がなくなると、それは独裁になります。もし子供が好きだからといって甘いものばかり与えていると、子供は溶けてしまいます。
厳しいことを言うのはとっても重要なのです。
そしてもうひとつ大切なのは、自分がとても厳しく自分に対峙することです。自分の作品は一歩引き下がって厳しく見なければならない。これはつらいことです。しかしこれがなければそれぞれが成長していかないのです。
ロシアの詩人であるプーシキンがこう言っています。
「君が、君そのものが最高裁判官なんだよ」と。
私が皆さんの作品を見せてもらって言う批判、言葉、意見がご自分のとても厳しい対峙と一致することを祈ってやみません。

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講評

※生徒作品の一部はwebでみることが出来ます。
作品紹介は『アート・アニメーションて何?―アートアニメーションのちいさな学校3年間の記録―』(2010)に掲載。

1.『カエルの子

河村誠 4m00s 2008年度夜間平面作品

この作品はやはりドローイングで作ったというのが良かったと思います。この方法そのものがいいですね。質問があります。この作品はこの学校での初めての仕事ですか。
河村「手で描くのは初めてです。」
この質問は偶然ではありません。では、この中でどのような間違いがあったのかを見ていきましょう。
まず、この動きはおたまじゃくしを想像させてくれないんです。やはりこれはプロフィールで見せる。それで、おたまじゃくしだと明確に分かったほうが見るほうも親しみがもてます。
おたまじゃくしが動き始めるシーンは、実際におたまじゃくしがどう動くのかを観察すべきです。
おたまじゃくしの動き方は魚とは違いますから。あと大きな魚との出会いのシーンですが、大きな魚にとってはこの小さなおたまじゃくしをどうこうするという事はないのです。つまり大きな魚は一般的におたまじゃくしなど相手にしない。では、何故相手をしたのか。そこを考えなければ。それがあなたのファンタジーになりますね。例えばおたまじゃくしが大きな魚の邪魔をして、魚が「こんちくしょう」と思うようになって追いかけるようになる、というようなモチーフが必要になります。その時にはじめて、大きな魚がおたまじゃくしを飲み込めないというシーンが鋭く描かれることになるのです。
例えば鳥が現れるシーン。おたまじゃくしはもっと大きな鳥から自由である必要があります。
カエルの手足が出るところはとっても重要な出来事です。おたまじゃくしは体から手足が出るなんて思ってもいない。だから思いがけない事件が起きたという風に描かれないといけません。
そしていかに現れるかということが重要です。おたまじゃくしはこうなることが前もって分からない。で、「手足が生えてきてどうしよう!」というような小さなディテール、細部がとても面白いんですね。それが表現を豊かにしていきます。例えば驚きと好奇心で自分の足を見る、というような。泳ぐことができる、手が動かせる、キョロンと飛び上がることができる、というような変化や驚きの世界が目の前で描かれると、わたしたちも非常にわくわくしてくるものです。
とてもプロットもよいし、少し深く考えるだけで子供たちに教材として見せてもよい作品になります。例えばどんな風に魚になるか、どんな風に鳥になるかといったことをアニメーション的に描く、そういう自然科学の教材に色を添えるような作品ができると思います。
そして作品をつくるには、徹底的に絵コンテを描かなければなりません。そして自分が納得しなくてはならない。絵コンテを描く中で何か新しいものが生まれるし、その中で残るもの、見るに値するものが出てくるのです。
この作者にはファンタジーがあるし、シナリオもとても良いです。シナリオがせっかくいいのだから、映像にするときの工夫をもっとすれば大変素晴らしい卒業制作になると思います。

2.『月天

藤本佐知子 3m50s 昼間部2年次作品
(今昔物語 第一部 八十二話「影法師」より)

これは何に描きましたか?
藤本「画用紙です」
最初に出てくるモーメント。これがどこか居心地が悪い。白いひもと白い影。これは「何かを失ってしまった」というイメージが出てくるんです。
とてもユニークなことをする時は気をつけなければならないことがあります。「白い影」というようなユニークなものを出すと、これは何だろう、という問いかけが見るものに起こってしまう。そうすると、せっかくこの絵そのものから喚起されるエモーションが失われてしまいます。
よく考えられているのは、お互いにひもを持っていて、それによってプレイする、というアイデアです。
テーマは愛の震え、始まりですね。いつの日かそれが成就するというテーマです。
私は女性の豊満な体を見たとき、作者は男であると思いました。
この作品には愛のおののきが音符になり、それにすべてが従うというとてもいい断片があります。ひもがゆれて五線譜になるところ。ここはせっかく良い表現なのだから、トレモロを上手に使ってください。男がひもを振るとそれが彼女に届く。彼女が振ると彼に届いていく。そういう愛のおののきを五線譜で上手に表現してほしい。
月にぶつかるシーンはあまり的確ではないですね。
実は現実生活において男性が愛する相手を見つけたとき、ものすごいエネルギーをもつものなんです。月にぶつかったりするはずがない。愛の気持ちに溢れて溢れて彼の体がどんどん大きくなって月に頭をぶつける、という方がこの作品のテーマに近づくのではないかと思います。
フィナーレの愛のひもによって彼らがどのように結びつけられているのか。もっと考えなければいけません。細部の積み重ねで信じられるものができるんです。
少女の愛のおののきから、もっと「愛してる」という積極性が出てきて、そのあとに成就して抱きしめられて気を失う、というような変化を描いてほしい。
そしてジェスチャーが大きい。繊細な動きを入れることで、もっと活き活きしたものになると思います。

3.『森のくまさん』

鈴木沙織、石垣春美、梶保麻美、白川泉 1m37s  2008年度夜間立体作品

歌に沿って子供のために作る、というアイデアが良いです。
とてもキャラクターがいい。ただ作る人が自分を信じられていない。ひざまずいている少女の細部は素晴らしい。が、脚が死んでいます。アニメーションなので、命を吹きこんで動かしてください。
またもや細部です。絵そのものはとてもよいです。くまが現れるとき、くまの口がとてもアクティブで、構造ができていません。鼻がないですね。付け足すときは全体の構造を知った上で的確にしてください。
ファイナルのくまと少女に加えてうさぎが登場するというところがとてもよいです。
ただ、シチュエーションの心理を作り手はしっかりと感じなければなりません。
くまが忘れ物の耳飾りを渡す。このときのシチュエーションをもっと描かなくてはならない。怖がって逃げていたのが段々とくまを信じ始める。そのへんのプロセスをもっと描くべきです。
これは絵コンテで説明できます。こんなとき自分ならどうするか。くまが怖かったけど耳飾を持ってきてくれてだんだん信用するようになる。という心理状況をつかんで、それをどんどん絵コンテで描いていくんです。何度も何度も自然な状態になるまで。
踊りがよいですね。とくにうさぎの参加がよい。
少女がだんだんと信じていくふれあいを描いてほしい。
チャップリンの「街の灯」を是非みてください。
終わりのほうを特に注意深く見てほしい。花売りの少女がチャップリンに花を渡すシーンです。これは偉大な作品です。ここにいる全員に関わることです。なぜそれを見なさいといったかは、映画を見ればわかる思います。

4.『無人島ショート・ショート

小田文子 1m25s 昼間部2年次作品

「おなら」についてですが、アニメーションにはやってはいけないことがあります。
私は特に女性の美しさの信仰者ですから。このシナリオは機知にかけるんです。もしくさいにおいをテーマにするなら、おならでなくてもよいでしょう。にんにくをきれいな女の子が擂る、それでもすごいにおいがしますよ。おいしい料理の中に沢山にんにくが入っていて、食べた後に満員の電車の中に飛び込む。そのほうがもっと面白いです。テーマは一緒ですね。くさいにおい。
とてもよいのは、「観光」。シナリオがとてもよく考えられています。とても制約されている。写真をパチパチ撮っているところなど、日本人の典型がよく描かれています。そういう日本人の姿を私も思い出しました。
「わたし〜」のポーズ、もうちょっと遊んだほうがよいです。もっと描きこんだほうがよい。徹底的に絵コンテをやるべきです。
細部を描きこんでいくとこのシナリオはさらに生きてくると思いますよ。あなたのその先の仕事が待っていますよ。

5.『一寸法師

豊田直紀、青柳清美、半田竜麻、浅井和子 1m56s 昼間部1年次作品

一寸法師の動きがよいです。私もアニメーターをやったことがあるのでわかりますが、この動きは難しい。よくできていると思います。
非常に動きもよく、一寸法師の剣の使い方もよくできています。
一寸法師を担当した方はどこかでアニメーターとして仕事をしましたか?
「していません」
これだけの動きができるということはとてもよいアニメーターになると思います。

6.『赤い着物のゆうれい

吉野直子、豊田直紀、小田文子 1m17s  昼間部2年次作品

ドローイングでやっているというところが気に入りました。古いものをテーマにして絵で作るというのはコンピューターで簡単に作るよりもとても良いと思います。
全体的に良い作品。表情があって表現豊かだと思います。
ただひとつ、フィナーレに男が木にしがみついているシーンは、すぐにモンタージュしないほうがよいですね。木の登り方があまり表現豊かでないのです。恐怖のあまり、木を飛ぶように登るという表現がほしいですね。最終的に彼が頂上にいて、下にはやしたてる子供たちのリアクションがある。これがピシッと見るものに落ちてきてほしい。最初に出てきた着物の表現がとても良いから、これを超えていかないと。全体の表現が低下してしまいます。そのあたりを工夫しなければいけません。でも、全体としてとてもよい作品です。

7.『猟師と坊主のお話

仲本有里、野田美波子、平田裕美子、渡辺由香子 5m25s 2008年度夜間立体作品
(今昔物語 本朝部巻第二十 十三話より)

とても良い動きです。これは最初の仕事ですか?
「立体でははじめてです。」
何かこの映画は終わっていないという感じがします。フィナーレとしての役割を充分に果たしていない。メタフィジックなストーリーの中で、最後に思いがけないことが起こるとき、その思いがけなさが不足しています。
観音様と信じていたものが野生の猪であった、ということをつなげるためには、やはり猪がチラッと出てこないと。そして坊さんともなんらかの関わりがないと。突如、ということが突如にならなくなる。そうすると「あ〜そうか」「そうじゃないかという気がした」とか「こうだったのか!」という驚きが持てないのです。まだ一度も猪が出てきてないから、あれは猪だったと言えばそれでおしまいになってしまいます。私たちにとっての意味がなくなってしまう。
この神話的な話は、日本だけのものではありません。例えば「白鳥の湖」なんかもそうですね。他にも「鶴の恩返し」とか。ロシアのお話では、ヒキガエルが実は王女様だったとか。こういう話はたくさんあります。
この話はドラマツルギーに関係してきます。作劇法。劇を作る方法ですね。動きをつくるだけでなく動きを発展させていくことが大事です。
立体で初めての仕事としてはとても良い出来です。

8.『The sound of ovum』

吉野直子 4m11s 昼間部2年次作品 (今昔物語 本朝部巻第三十一話より)

私はこの作品のシナリオの構造、本質がよくわからなかった。もしかすると私だけが例外ではなく、ひょっとして作者自身が深くわかってなかったのかな、と思いますがどうでしょう。
これははじめての仕事ですか。
吉野「2度目です」
最初の作品と比較すると面白いと思います。
意識化の何か、この世にありえないものにアテンションするのではなくて、もっと動きの発展や物語の発展、そういうことに注目して作品をつくったほうがよいと思います。
わけのわからない世界ではなく、見ているものにもよくわかる、見える、オープンな動きを心がけてください。一本目である「赤い着物」のほうが良いですね。「赤い着物」のほうがオープンな動きや作劇法の上での衝突がある。
2本目は動きが多いけど、作劇法の上での組み立てが不足しています。
もしかしたら私が何かを取りこぼしているのかもしれませんが。

9.『swimming』

平山志保 4m05s  第7回ノルシュテイン大賞アニメート賞、観客賞受賞

この人はアニメーションをよく体感していますね。とてもいいアニメーターです。それぞれのキャラクターに特徴があるし、動きが的確です。そしてとても単純な手法を使っているのがいいですね。コンピューターを使って複雑なことをやると欠点が見えなくなる。でもこういう単純な手法でやるとすべて見えてしまいます。この作品が何をやろうとしているかを作者はちゃんとわかっている、ということが見えます。
そしてまたもや細部です。太った男の子が水の中に飛び込むとどうなるか、ということがちゃんと観察されていません。体のどの部分から水の中に入っていくか。こういう細部はとても重要です。本当らしく思えるんです。細部が積み重なり、その記憶が動きになっていくんですね。ですから細部のつながりがおかしいとそこに行き着かない。行き着いても信じられないものになるので、細部へのこだわりは忘れないでください。

10.『赤いスカーフ

青柳清美、石橋藍、金子早織、崎村のぞみ、高野真、宮崎菜穂 8m33s
昼間部2年次作品 (今昔物語 本朝部巻第二十九 二十三話より)

6人で制作したというのはすごいですね!
この作品は4分にするともっと良くなります。どうしてかというと、インテリめいた男とカウボーイの決闘が余計でした。だって女はもうすでにカウボーイに気持ちを向けている。この闘いは必要ありません。
この決闘がなくても、たとえば彼女が男にキスをして骸骨に変わったときのカウボーイの恐怖。ここは面白いですね。
試しに余計な部分はカットしてみてください。すごく良くなりますよ。決闘みたいなものは散々手垢がついているんですね。これをカットすればなんともすごいものになりますよ!是非やってみてください。
美女が実は魔女だった、魔的な存在だったという設定はカウボーイものの中ではおそらく初めてではないかと思います。とても面白いです。
色々な展開が考えられます。例えば、男にキスをしたら骸骨になってしまってカウボーイは驚いて、強いはずのカウボーイが砂漠を逃げて行くとか。それで一人ぽつんと残された女が「ああ・・・逃げられた」と骸骨のそばで泣く。そういう風にも出来るわけです。そうするとファイナルは別のものになります。彼女が泣いたとき、骸骨がバババッと組み立てられて人間に戻る。二人はまた結ばれる、とか。色々考えられます。ところが、この男は現実をわかってしまっているので、急いで馬に乗ってカウボーイの後を追いかけ、またもやこの魔女が一人取り残されるとか。そういうことでもよいのです。それでふたりの男は「魔女の手から逃げることができた〜」と、二人で歌を歌いながら去って行く、というのもありです。なぜなら彼女はひどい女なんだから。
作劇法というのはメカニックに進めてしまってはいけないんです。やはりどこか反作用があったり、工夫が必要です。機械的に進めてしまうと手垢に汚れたものになってしまいます。なんとか独自なものにしてください。
まず第一に時間を減らしてみてください。それをすることが、あなた方に別のアイデアを与えるかもしれない。

11.『ラピュタサーカス』

M・トゥメリヤ&students 3m45s 昼の部2年次作品

この作品はトゥメリヤさんが日本から帰ってきた時に私に見せてくれました。1ヶ月にこれだけのことをやったということに、私はとても喜びました。よくやりあげたと思います。ラピュタサーカスの各々の作品は発展させることが出来ると思います。卒業制作までもっていくことができます。ですからもう一度立ち戻ってみるのもよいと思います。20年前、トゥメリアさんは私のコースにいましたが、練習で作ったものを卒業制作まで発展させる、ということをやっていました。これが大事なんです。このラピュタサーカスを第1歩という感じで皆さんの宝物として捉えてくださったほうがよいと思います。

12.『a Little Symphony in the Forest』

広安正敬 2m40s 2008年度夜間平面作品

これはコンピューターで作ったんですか。
広安「水彩で描いたものをコンピューターで加工しました」
コンピューターというのは一般的にとても誘惑に満ちたものです。ローレライが旅人を誘惑するように。とてもいい絵だと思います。いい表現だと思う。
タタタンというという音のところに、全体の動きの中でアクセントをつける。音楽だけでなく画面にも。ここのところがアニメーションにおけるプレイするということです。
この楽器を弾ける人を探して、デジカメで取る。その動きを練習してください。
そのときに手の動きが生きてくると思います。
時々起こることなんですが、演奏している人は音楽に入り込んで周りが見えなくなることがあります。つまり周囲に動物たちが集まってくることに気付かない。そうするとやっぱり細部の問題になります。例えばそれぞれの動物が特徴的な自分のことをやっている。そうすると音楽が聞こえてくる。うさぎが草を食べている。ねずみのお母さんが子どもたちに餌を与える。そんな中音楽が聞こえてくる。うさぎが「ん?」と音楽に気付く。餌を与えるのをやめるお母さんねずみに子どもたちが「どうしたの?」という反応をする。そういう細部が必要になります。こういう細部がこの映画の持つ空間をとても豊かなものにしていきます。アニメーションは時間の空間ですから。
あなたのこの仕事が最初の仕事かどうかを知らずに私がとやかくいう権利はないんです。裁判官のように。でも私が言ったことは、あなただけでなく皆に言えるとっても重要なことです。登場する動物たちのプレイする姿の細部がつながって行動になる。この積み重ねがとても重要だということ。それを私たち見る方が信じられるものにする。それは作り手の方も信じられなければ。

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参加者との質疑応答

Q、題材を選ぶときに、映画やタブローではなく、アニメーションだからこそ描けるもの、アニメーションでなければ描けないもの、そういう題材があると思いますか。

私も同じ問いかけを自分に課しています。
アニメーションでやるとよりよいもの、ということですね。新しいアイデアがわいてくる時、これをアニメーションにしようと思った時に、自分にひとつの条件、制約をかけます。それは自分に本当にできるのか、という問いかけです。自分に制約をかす、ということです。何でもできるというときは何もできない。出来ない中でじゃあどうするか。という制約を自分にかけるのです。自分はそういう風にしています。
例えば皆さんもよくご存知のアレクサンドロフ・ペトロフはロシアの作家プラトーノフの「雌牛」という作品をテーマに、20年前に作品を作りました。じゃあこれを40年前にテーマとして選択できたか、というと出来ないんです。
ペトロフは彼の原作の中から自分がアニメーションに出来るという部分を見出したのです。
このように小説や他のものからテーマを見出したときは、点検することが必要になります。イメージを働かせ、本当に大丈夫かと問いかけるのです。
アニメーションは演劇やバレエ、パントマイム、道化にも近いので、題材をまずこれらの分野で一度イメージしてみるとよいでしょう。リアルな解決方法ではなく頭の中でやってみるんです。
スウェーデンで講義をしたとき、フランスのある学生が、戦争についての自分の作品を見せてくれました。とっても真面目に作ってある作品です。
例えばこういう言葉をイメージしてみてください。
戦争が人々から色んなものを奪った。この言葉をイメージするときには、必ず奪われる前の平和なときの記憶が必要になります。例えば刺繍をしているとか、ピアノを弾いているとか、おばあちゃんが昔ながらの料理を作っているとか、子供が宿題をやっているとか。そういう平和な日常のシーンというのが、必要になります。
じゃあ、「戦争が人々から色んなものを奪った」というのは、何を意味するのか。
まず、「戦争」。これは制約されたものでいいですね。兵士の隊列がザッザッザッと進んでいく。そのあと家族の扉が開いて、部屋の中を兵士の隊列が通っていく。武器を持って平和な部屋の中を通り抜ける。部屋の中にある日用品を全部なぎ倒していく。
そして部屋がからっぽになる。これもひとつの解決ですね。では、イメージとしてどう解決するか。「戦争が人々から色んなものを奪った」ということをまずイメージしてそれから作品にしていくということが必要です。
そして、始めから終わりまでイメージできないならば、その題材を選択するのは間違っていたということになります。そういう点検をしてみてください。
とても重要なのはファンタジー、想像力を育むことです。
質問に答えながら、私はとても一般的なことを言いました。ついでにこれに関連して言うと、どうぞ古典絵画を観てください。ブリューゲルの「子供の遊戯」という絵を見てください。これは動きの大きな地図なのです。すべてがあります。例えば、お姫様の衣装を着た女の子が歩いている。それから前景で男の子が何かをぐるぐる回している。また、子どもたちはとても悪い遊びもしている。鬼ごっこをして遊ぶ子供たちもいる。そういう子供たちの表情が、この「子供の遊戯」という絵の中に全部あります。
絵画としても鑑賞できるが、アニメーションの観点から動きがどう発展しているのかが描かれています。
私が芭蕉の連句、「冬の日」を作ったときのことですが、日本がとても好きで色々見ているけど、それでも恐ろしくなって、家にある広重の作品を見ました。その時、描かれていた細部にとても感動したんです。
例えば、北斎漫画を使って練習することもできます。キャラクターにプレイさせることとは何かを体感する。これが、皆さんの想像力を養う。次の動き、前の動きを考えさせてくれる。これで練習してみてほしいですね。
自然とは何かということを理解する上で、浮世絵師たちのやったことは私たちにとって大変豊かで膨大なマテリアルです。
広重の川や雨の表現を見ていると、自然の持つ本質がよくわかります。毎日テレビばかり見ていると頭がおかしくなりますよ。
あなたの心で感嘆する空間を自分でつくりあげないといけません。
私がくそまじめな人間と思ったらとんでもありません。おかしなことを言って笑わせたりもします。
芸術というのはいずれにしても空間を人間化することです。空間というのは部屋の中の空間だけではない。もっと抽象的な意味での空間もある。アニメーションも実際に見ているのは平面でも、時間や抽象的な意味での空間がある。
様々な絵画や映画を見る。様々な作品に出会っていく。そのときにある瞬間、突然わかるんです。ヨーロッパの作品も、日本の作品もロシアの作品も、全部に共通している。なぜかというと、芸術家はいつもひとつのことを言っているからです。
広重の雨の版画を見て、突然ロシアのシェラーピンという歌手の歌を思い出しました。
彼は嵐の歌を歌っているんですけど、その歌の最後はこんな風な響きがあります。私は広重の雨の表現から感じたことと同じものを耳にしたのです。
(歌いながら)「嵐のあと、たったひとつ残されたのは暗がりだけだった」
これが広重の雨に塗り込められた暗がりと一致したんです。
無限に広がる暗がりの空間をたった一行で示してしまった。これが芸術です。

Q、アニメーションの動きを考えるときに、何を一番大切に考えればよいでしょうか?

まず、その前に「生きること」です。友達と会って泣いたり笑ったり、どこかへ行ったり。風が吹くと雨や木がどうなるか。なんにしろ、充分に生きることです。座ってうつむいて邪魔しないでくれ、というのは楽ですが、実際にそういうことはあり得ない。何かアイデアを生み出すときは、うつむいて考えるものではなくて、例えばトイレに入っているときなんかに突然ふっと浮かんでくるものなんです。
アルヒメイダの原則で、何かひらめくのはトイレの中というのがすごく多いです。出しただけいいアイデアが出てくるということです。私の多くの仲間からも「トイレで思いついた」という話を聞きます。
それからもちろん、「生きろ」「生きろ」と大騒ぎして言っていますが、実際に仕事が煮詰まって、色々統率して作品に仕上げていかなくてはならないときの緊張はすごいですよ。私も集中しなくてはいけない時にもし誰かが邪魔しようものなら、そいつの頭をぶんなぐってやろうというくらい頭にきます。誰からも邪魔されず集中できる時間、これも確保しなければならない。これもやっぱり生きることです。

初出『アート・アニメーションて何?―アートアニメーションのちいさな学校3年間の記録―』(2010)

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阿佐ヶ谷ヌクスタジオを見学


シンポジウムの後は、2009年4月に設立された阿佐ヶ谷ヌクスタジオを見学。
日本に数少ない立体、人形アニメーションスタジオである。(2009年度は卒業制作に使用)


内田百間原作の「豹」(2009年度卒業制作作品)制作現場


第1期生たちとの記念撮影

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山猫軒でのパーティー

ノルシュテイン氏来校の締めくくりは、山猫軒でのパーティー。
ちいさな学校の生徒たち、先生方、ノルシュテイン氏のワークショップ参加者など、多くの人が交流し、ものつくり達の輪が広がるあたたかなパーティーとなった。


ちいさな学校長、真賀里文子さんと。


昼間部第2期生との記念撮影。一番右は小林準治さん。


最後は感謝の気持ちをこめてアーチ!

パーティーは沢山の笑顔と秋の風に包まれながら終了。
ノルシュテイン氏来校シンポジウムの幕を閉じた。

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