ユーリー・ノルシュテインの仕事

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ユーリー・ボリソヴィチ・ノルシュテイン

子供時代、重い病気になると、いつも同じ夢を見た。どうやら暗闇の中におよそ1メートルほどの薄い紙の小山がある。私は迅速かつ正確に、その紙の山から全ての紙を一枚ずつ、他の場所に置き換えなければならない。できるだけ早くそうするように努めるが、小山は一枚も減る様子がなく、隣にはそれにも劣らぬ新しい山ができないのだ。

 後年、アニメーションの世界で仕事をするようになり、トレーシングで、動きの構図を描きながら、何度となく子供時代の夢を思い出した。

1941年9月15日 戦争初期の疎開先の一つ、ペンゼンスキー州ゴロヴニシチェンスキー地区アンドレエフカ村生まれ。

1943年
母親と兄とモスクワに戻る。
 母親、バーシャ・グリゴーリェヴナ・キリチェフスカヤは、 終生、保育園、 幼稚園、駅の「母親と乳児の部屋」等、就学前児童施設で働いた。

 父親、ベルコ・レイボヴィッチ・ノルシュテインは、木材加工工場整備工。
 私が14歳の時に亡くなった。私自身が直接知っているわけではないが、話によれば非常に興味深い人物だったとのことである。教育は受けていないが、高等数学を理解し、絶対音感と非凡な音楽的記憶力の持ち主だった。ワーグナーとシューベルトを空で口笛を吹いた。音楽を学び、結果的にバイオリンの修復技術者になった兄は、父親からその才能を受け継いだのだ。
 母親は、子ども達を生活の惨禍に備えさせ、守ってくれた他には、何ら突出した才能はなかった。常時、ユダヤ人という出自を意識させてくれた。

 10年制中学で学び、卒業。最後の二年間は同時に芸術学校にも通った。後になって分かったことだが、そこでは未来の妻フランチェスカ・ヤールブソワも学んでいた。

家具コンビナートで働く。

1959年
“サユーズムリトフィルム”国立映画スタジオ付属のアニメーター2年コースに入学。

1961年
卒業後、サユーズムリトフィルムで映画制作に従事。
50作品以上に参加。例えば以下のものがある。
『ミトン』(R. カチャーノフ監督)、『わにのゲーナとチェブラーシカ』(R. カチャーノフ監督)『ボニファティウスの休暇』(F. ヒトルーク監督)、『左利き』(I. イワノフ=ワノー監督)、『38羽のオウム』(I. ウフィムツェフ、R. カチャーノフ監督)、A. S.プーシキンの絵によるフィルム・シリーズ (A. フルジャノフスキー、R. カチャーノフ監督)

 スタジオでは、ツェハノフスキー、ヒトルーク、アタマーノフ、カチャーノフ、イワノフ=ワノー、デージキン、ポルコヴニコフその他多数の素晴らしい監督達と出会ったが、絵画をやりたいと夢想していたので、スタジオを辞めたいという渇望と、アニメへの嫌気が同じぐらいあった。

 美術学校に入学しようという試みは、全くうまく行かずに終わった。あたかも運命そのものが、私に人生の居場所を指し示してくれたかのようだ。エイゼンシュテインの6巻選集が決定的な影響を与えた。私は監督という仕事がやみつきになっていた。

 スタジオで未来の妻フランチェスカ・ヤールブソワと知り合い、ボーリャとカーチャの二人の子供が生まれ、以下の作品が生まれた。『キツネとウサギ』、『アオサギとツル』、『霧の中のハリネズミ』、『話の話』および未完の『外套』。

1968年『25日-最初の日』

1971年『ケルジェネツの戦い』

1973年『キツネとウサギ』

1974年『アオサギとツル』

1975年『霧の中のハリネズミ』

1979年『話の話』
国立映画大学脚本と監督上級クラスのアニメ映画監督学部にて教授

1995年『外套』の作業再開
CM『ロシア砂糖』

1999年『おやすみなさいこどもたち』

2003年『冬の日』

1979年度ソ連国家賞、A・タルコフスキー記念賞(1981年度)を受賞、さらに「青少年向け映画・アニメ芸術発展への貢献」に対して国際ジャーナリスト連盟メダルを授与された。
1991年にフランスの芸術文学勲章を受章。1995年に、文学および芸術上の高度な業績にたいしてロシア「トライアンフ」賞を受賞。
2004年には日本の秋の褒章にて、「ロシアにおける日本文化紹介とアニメーション発展への貢献が認められた」ため、国家・社会に貢献した人に贈られる旭日章を授与された。

わが師たち:アルタミラとラスコー洞窟の壁画、アンドレイ・リュブリョフの「救世主」、ミケランジェロ最後の彫刻「ロンダニーニのピエタ」、ヴェラスケスの「女官たち」、晩年のゴヤ、レンブラントの「放蕩息子の帰還」、ヴァン・ゴッホ、レーピンの絵「ムソルグスキー」像、パーヴェル・フェドートフ、シャルデン、ミレー、ロシアおよびヨーロッパのアヴァンギャルド、ジャン・ヴィゴーの映画「アタランタ」、エイゼンシュテインの6巻選集。

けれども最も卓越した教師は、私の孫たちと、子どもたち皆だ。シャツに覆われた、華奢で狭い肩の上の、無邪気さと微笑みに満ちた彼らの顔を見ていると、我々の精神に愛を花開かせられるなら、あらゆる世界芸術には意味があることがわかるのだ。

「ユーリ−・ノルシュテインの仕事」ふゅーじょんぷろだくと刊(2003) より抜粋

スナップショット※クリックすると別ウインドウで表示します(JavaScript使用)。

『外套』のパーツが並べられた作業机にて(1996)

阿佐ケ谷のそば屋にて(2002)

『冬の日』撮影素材(2003)撮影:マクシム・グラニク