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日本の若者に贈る、 ユーリー・ノルシュテイン氏からのメッセージ。

SPEAK:ユーリー・ノルシュテイン / 翻訳:児島宏子

 2001年7月20日から8月20日までの一ヶ月間、ラピュタ阿佐ケ谷第二回ラピュタ・アニメーションフェスティバルが開催された。この映画祭は2000年の第一回から、ロシアのアニメーション監督ユーリー・ノルシュテイン氏を招いて、日本のアニメーション作家やそれを志す若者へのアニメーション・ワークショップや、トークイベントなどを開催してきた。2001年もノルシュテイン氏を招いて、日本と世界のアニメーションの祭典が開かれた。『話の話』『おやすみなさい、こどもたち』で知られる、アニメーションの世界的巨匠であるノルシュテイン氏の作品上映とイベントを中心として、日本と世界のアート・アニメーションの上映やノルシュテイン大賞と冠し、ノルシュテイン氏が審査員長をつとめ、またスクリーンでの公開上映によって観客も投票して作品を審査するコンペティション、そしてアニメーションの世界で活躍する作家のトークショー、アニメーション教室などに多くの観客が参加した。
 2001年8月14日、再び来日したノルシュテイン氏はアニメーションを志す若者、そしてアニメーションに携わる作家たちに対して、芸術を志すということの厳しさを語り、ロシアのアニメーション教育の現場について語り、そして心に響く多くの言葉を残していった。


ロシアのアニメーション教育事情

 芸術というものが何のために存在するのか、という話をしましょう。人間というものはいつか必ず死にます。だからこそ芸術が存在するのだと思います。生きている人たち、生き残っている人たちに、生きる意味を与えるために芸術は存在しているんです。この人生の中でみんなを楽しませる、あるいは気晴らしをさせるだけではなくて、生きる意味、まさにそれを与えてくれるために芸術はあるに違いありません。これは芸術家たちは皆このことを知っているんです。観客たち、あるいは作品を受け入れる人たちも皆知っているんです。しかし、知らない人がいるんです。これが政府なのです。

 政府(政治)というのは本質的には力の闘いだと思います。しかも生きる意味とかそういうことではなく、出世のための闘い、それも権力争いの類いのものです。なぜ、こんなことを言うかというと、私は大学の上級コース(映画監督を養成するためのコース)で生徒たちに教えていました。このコースからは優れた監督が誕生してきました。そして卒業した人たちは今も活躍しています。

 この上級コースを存続するために政府へ授業料の一部を納めるというシステムが導入されました。(かつては政府が資金を出し、授業は無料でした。)それで才能のある人が授業料を払えない事態が生じます。お金を持っている人に限って才能はないですね。でも、大学としては授業料を払える人を受け入れるしかないんです。この上級コースは、創造性を養う、何かを創造することのために存在しているのですが、今では、この上級コースを存続させるために仕事をせざるをえない、という状態にあるのです。授業料を受け取って、仕事を存続させるのです。これはしばし起こることなんですが、才能がない人ほど厚かましいものです。これは創造においてマイナスの面です。才能がなければ厚かましさというものはマイナスの面です。

 そこで一体どのような授業を行っているかというと、まず第一にとても厳しい入学試験があります。これは映画の仕事に関係する試験、例えば自分で制作した短編作品であるとか、詩であるとか、演劇だとか、あるいは絵コンテであるとか、それからコマ割りであるとか、そういうものを提出しなければなりません。一人の受験生が提出した様々な作品や素材を、私が見て、そして私以外に二人が見ます。必ず三人の試験官が個別にそれを見て、その場で点数をつけます。もし、三人のうち一人でもその生徒の作品を評価したら、評価した三人目の判断を尊重します。そういうかたちでで判断されていくのです。

 ここでは、既に仕事をしている人には受験資格がありません。入学希望者の五十人が各々の作品を送ってきて、そのうち三十人ぐらいが残ります。その人たちがいつも自分の顔写真を送ってくるので、私はこの写真を見るのを楽しみにしています。この写真を見て、この人間がどれだけ深い心を持っているかを心の中で推測してみます。そうして面接で実際に会った時に、自分が写真から得た印象が果たして正しかったかどうか、という一瞬を体験するのが楽しみなのです。

 作品の審査と書類審査を通過した人は筆記試験とを受けます。試験は難易度が高く設定されていて、とても厳しいものです。そしてその後に面接試験となるのです。面接には十二名の面接官が出席し、筆記試験の答案をもとにその場で生徒に質問します。十二人で構成された面接官は、監督、技術監督、アニメーター、それからシナリオライター、そして作家等です。こうした職種の人たちが、この面接試験に出席します。そこで受験生のユーモア感覚やそれに対する反応や能力などを判断します。例えば、ある世界的なテーマを挙げて、そのテーマにそって、受験生に提案させるとか、そういった面接を行うのです。ここで何を言いたいかというと、その受験生の質を見るわけです。例えばロシアのことわざを試験問題として提示します。このことわざを一枚の絵で表す課題などの試験を行っているのです。何がその受験生の適正なのかわからないんですね。ですからその場で質疑応答していくのです。その方法はとても機知に富んだ解決となるのです。ですからソビエト連邦がいつ倒れたとか、記憶を試すような質問は全くありません。その人の知性の水準、その精神的な水準、これまでこの受験生がどれだけ勉強して、どれだけ感じてきたのかを聞くのです。結局、その人が考える人であるかを試すような、それがこちらにも判るような質問をするのです。

 筆記試験の内容ですが、おとぎ話とか、民話とか、とても明解な詩を書いたマルシャーク(詩人)などについて出題します。その答案は面接官の全員が目を通します。私はある答案をもとに詩歌についての質問をしました。それからこの面接官の中のひとりに心理学者がいて、その心理学者も受験生に質問します。受験生の答えと考え方など、すべてを総合してこの心理学者は採点をするわけです。こうして自分たち映画人と心理学者の採点を足して合格者を決定します。そうしてこそ上級コースの授業がとっても豊かなものになるのです。

 二・三ケ月かかって終えるような課題を、生徒に与えます。特に古典からテーマを選びます。例えば、生徒によって各々テーマを変えることもあるし、全員に一つのテーマを与えることもあります。

 生徒を評価すること、講評はとても難しいものです。テストをして点が悪かった生徒がいます。私たちはその生徒の仕事(作品)レヴェルを知っています。そのうえで教授たちは彼らにレッスンをします。生徒は平均して十人くらいで、これに四人〜六人の先生です。ですからそれぞれの先生が、生徒を受け持ちますが、だからといって生徒は縛られているわけではないのです。

 

芸術家のあるべき姿とは

 芸術史を見ると、それは人間の情熱の歴史です。私は追体験という意味の「ぺレジバーニエ」という言葉を使います。芸術史は巨大な「ぺレジバーニエ」なんです。これは何らかの原因で、絶えず絶えず、呼び起こさなければいけないのです。

 自分で自分自身であることを拒絶すると、これはそうした「ぺレジバーニエ」が起こらないということなんです。赤ちゃんが泣くという時は、これは言葉抜きで周囲に自分を理解してほしい、泣いている原因をわかってほしい、という希求から泣くのです。お母さんにわかってもらいたい、というもっとも単純な行動なんです。芸術家たちもこのように語らなければいけないのです。このように、ただ赤ちゃんが泣くように、芸術家たちは語らなければいけないんです。

 ある時、現代のロシアでとても偉大な詩人が、プーシキンの悲劇的な死を語る詩を読みました。プーシキンが亡くなった追悼記念日(2001年2月10日・没後164年)にこの詩を朗読したのです。プーシキンはペテルブルクで決闘で倒れたのです。プーシキンの追悼記念祭は小さな林の中の古い川が流れている広場で、プーシキンが倒れた2月に開かれました。ロシアでもっとも寒い時、しかもこれはペテルブルクでもとっても寒い場所です。その寒さの中で毛皮の帽子を取るというのはロシアでは大変なことなんですけども、その80歳の老詩人は、帽子をとって、この寒さの中で声も出ない状態なのです。それでもこの詩人はプーシキンの悲劇的な死というのを自分の声を振り絞って、力の限り朗読したのです。今、プーシキンの詩「予言者」を読んでみます。この翻訳はないかもしれませんが、響きだけでも聞いて下さい。

「予言者」
心の渇きに苦しみつつ
私は暗い砂漠をさまよった
わかれ道にたどりついたとき
六つの翼をもつ
天使セラフィムが現れた
夢のように、かろやかな翼で
天使は私のまぶたに触れると
私の目は予言の力に満ち、
驚く鷲の目のようにひらいた

 この偉大な現代の詩人がこの席で「長い人生を生きてきて、自分は有名になって…」、なんて個人的なことをここで語る必要はありませんでした。彼は本物の芸術家であり、自分の声、老いた声、それを振り絞って、プーシキンのこの大事な大事な詩を読み上げたのです。芸術家がどういう演出を使うとか、どういう装飾を使うとか、どういうふうに見せるなんてことを一切考えないで、本当に言いたいことを声を振り絞って言った時に、芸術は高貴になるのです。アニメーションはまだ誕生して百年にもなりません。先ほどの芸術史の中では少しの場所しか、占めていません。でも世界の芸術の中に、本物のアニメーションが、自分が何者であるかと理解できるような、本物の作品ができた時にはじめて、世界文化の中に組み入れられるんです。私はどんなにその日を待ち焦がれていることでしょう。そんな時に、自分の身近な人が亡くなったり、あるいはそれが力を与えたりしてくれることもあるかもしれません。でもそんなことは重要ではないのです。ですが、自分がそこに達するまでには、いろいろな人が自分のまわりにいた。それを決して忘れてはなりません。作品を必要としてくれる、その人たちのためにも作品をつくるのです。芸術史の中にあらわれた本物の作品は、簡単にできたものではないのです。本当に心血を注いで、はじめてそうした本物の作品ができるのです。自分自身であること、真実であること、だからこそできるんです。私たちの多くは、自己陶酔という病気にかかっています。

 話を再び赤ちゃんのことに戻しましょう。赤ちゃんが何かほしい時は、自己陶酔とか、自分に見愡れるとか、そういうことは一切ないんです。芸術には自己満足がありません。芸術をつくり出そうとする人は、自分の命をそこに注がなければいけません。自分自身を自分の感情を、すべて投入しなければならないのです。そしてアニメーターは最初に抱いた自分の思いを、例えばたった3秒のシーンですね、ここにやりたいことができなかった、でも自分がやりたいことがたった3秒だけできた、そうしてマリが転がり出した。そういう時の最初の思いを、気持ちを消してはいけません。以前にロシア芸術座で日本の歌舞伎を上演したんです。花道を役者が通ります。ところがある時点でこちらにキッと振り返った。その時に一種の衝撃というのでしょうか、そういう瞬間があったのです。もし、アニメーションに、このような電気が放電するようなそういう瞬間が起こったならば、その作品をつくった人は幸せです。私たち、アニメーションをやる人は本当に幸せなんです。もっとも知的なジャンル、そしてひとつの作品にそれぞれの手法で、自由につくっていくことができるんですね。それは非常に幸せなことです。とても重要な、そして単純な本質を、政府の人たちや経済界の人たちは全然理解していないのです。芸術に投資されたものは必ず戻ってきます。芸術に対してお金を投資することはお金を捨てることだ、と彼らは言っています。全然わかっていない。回収はお金に変えられないこと------つまり数百万人の人々の心が豊かに変わるということでなされるのです。ああ、私の話が長引いてしまってます。とにかく、自分自身であり続ける、ということが皆さんへのメッセージです。一生懸命働くとか、勉強するとかはこれは当然のことです。これは言う必要がない。可能な限りの緊張感と、一生懸命仕事を続けていくこと、前の仕事より水準の高い仕事を、可能な限り、最大限でやろうという気持ちです。そして自分が行き詰まった時には、自分を抑圧した悪い条件の中で、そして不可能の時を突き抜けていくことなのです。自己点検、厳しい自己検閲をしていれば、そのようなきつい条件、自分を抑圧した悪い条件の中で、禁欲的なその条件の中でこそ、きっと何かを見つけることができるでしょう。自由という言葉には、知ること、それから責任、自分の行動に対して責任を取るという意味が、この自由という言葉には含まれています。不可能をくぐりぬけ、あるいは悪い条件を抜け出る。こういうような時により良い仕事ができるのです。失敗というのは、自分のイメージ通りにいかないことなのです。しかし、もし自分が失敗しても、その失敗を克服して、それに対してすぐに素直に先へすすもうという力が残っているようでしたら、自分を警戒して下さい。それはとても危険なことです。でもそうした困難な状況、失敗を抜け出た時の幸せは、もう素晴らしい、信じがたい幸せでしょう。この幸せ、困難さをくぐり抜けてたどりついた幸せには、自己満足や自己陶酔なんてないのです。そのための空間は残されてないんです。

 ではこれぐらいにしましょう。みなさんありがとう。

(於 ザムザ阿佐ケ谷)


初出:『コミックボックス』2002年6月号(Vol.111)