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ロシア的なるもの、野蛮性と信じ難い美のハーモニー
An Interview With Norshtein│To be Russian is to be in harmony with barbarianism and beauty

インタビュアー = 才谷遼(本誌)/ 通訳 = 児島宏子
INTERVIEWER : Saitani RYO / TRANSLATE :Kozima HIROKO

1995年10月に来日したノルシュテインは、5日間にわたる池袋コミュニティ・カレッジでのレクチャーをはじめ、各地で精力的に講義活動を行ってきた。このインタビューは、その強行スケジュールを縫うようにして、ロシアへ発つ前日、来日記念原画展会場にて行われたものである。


――今日は基本的には一点だけ、ロシア的なるものというものについて深く聞きたいのです。ノルシュテインさんが考えている、自分の根源にあるロシア的なるものについて、ノルシュテインさんの言葉でお願いしたいんですが。

「大変難しい問題です。これを正確に答えられる人は、恐らくロシアにはいないのではないかと思います。ロシアにおいて、国家に対する関係も、人間と人間の内面の関係も、大変矛盾に満ちています。それは何かといいますと、上着から最後のシャツまで脱いで、質に入れても人を助けるということと、自分がグデングデンに酔っぱらうためにお金を使い果たすという両方が同時に存在するからです。また、非常に自分を苦しめている深い問題に何とか答えを見いだそうとする試みや願いがあると同時に、非常に簡単な気分で隣の人を騙してしまうという両方のものが存在します。例えば祖国を守るために、非常に平和な気持ちで静かに死に向かうことさえできる。それなのに、隣の人のスパイをするというようなこともできる。あるいは、信じられないほど心は広く大きいのと同時に、大変細かいことにこだわってけちんぼになる。そういうのが同時に存在している。こうした現象は本当に不思議だと思うんです。ロシアという国は物凄い規模で不思議な国です。
 何れにしても、この国には今まで私が言ったようなこと全てを含んでしまうある種のハーモニー、調和というものが存在していると思うのです。お互いに酔っぱらって、面を殴り合う様な人達も、翌日には悔恨の念を抱くような、何か人々を救うような、そんな調和というものがこの国にはあるように思えます。それは何か批判をしたりするのではなくて、共鳴するとか哀れみを抱くといったようなものではないでしょうか。調和を持ったそのような一つの存在というもの、これは、つまりその人の目が、絶えず子供に注がれているということです。そしてその人自身が子供のような純真さと真実を持っていて、子供との関わりでその純粋さ、純真さというものを人々に示そうとしているのかもしれません。
 このように野蛮性と、信じがたい美のハーモニー、この組み合わせなのです。それがロシア的なるものなのです。
 それからもう一つのロシア的なるものというのは、自分自身の命の価値をあまり認めていない。ですから、自分のとても大切な人のために、近しい人の為にいくらでも死を選ぶことができる。そうしたことから全ての悲劇が生じるのです。もしかしたら、これはロシアの国内に於ける広大な空間、あるいは、町と町との間に横たわる平原や砂漠、まあ砂漠といっても、本当の砂漠ではなくてそこには森とか草原などが広がるのですが、そこでは決して人とは出会わない。そのような、広大な拡がりのせいかもしれません。ですから、ロシアにはとても強い期待があるのでしょう。だからこそ、絶えず何かを期待しているという、そういう、他の国とは比較できない強い思いがあるのでしょう。
 今のご質問に答えましたけれど、答えになってないかもしれません。しかし、このテーマにとって大変いい答えになるチュッチェフの詩があるんです。
 『ロシアは理性では理解できない。ロシアは杓子では測れない。そこには特別な気質があるのだ。ロシアはただ信じる以外にない。』
 プーシキンもこのことをたくさん書きました。特に世界に於けるロシアの特別な使命について。しかし、ここでとても重要なのは、そのような使命感で大変徳のあることを成した時に、純粋な気持ちが失われるということです。そして、この森の静けさ、草原の広場に雪の静けさ。そして厳寒。厳しい寒さの叫び、これらがこのロシアの空間に広がっているのですが、私にとってもそこにロシアの全てが組み立てられているのです。
 昨日私は、自分のとてもいい知り合いにFAXを送りました。そこに書きました。
 『国外にいると時々自分の祖国を継母のように感じる。しかし、私はきっと祖国を去らないだろう。何故かというと、他の国では決して出会えない特殊性、特別なものがこの祖国にはあるからだ。』」

――継母というのは、どういうところが継母なんでしょうか。芸術家を守らないというような意味でしょうか。

「それは、善を成す人、非常に善いことをしようとする人達にとって、少しもそれが実現されないというか、その反対のことがなされてしまう。そういうところですね。善意が受け入れられない、というところです。それを書くというのは、一種の喪失という思いで書きます。」

――この前の講義でノルシュテインさんは、今、ロシアのテレビからはコレラ菌とかチフス菌がどんどん出ているとおしゃっていたんですが、これはアメリカ的なものというふうに解釈しているんですが、そういう状況も今おっしゃったことのように解釈すればいいのでしょうか。

「アメリカ的なもの、それから、アメリカナイズされたロシアのもの、そういうものが、チフス菌やコレラ菌のように押し寄せてくるというつもりで言いました。」

――日本も戦後、アメリカ的なるもので、もう五十年来た。僕らはドストエフスキーを含めてロシアの小説も大好きですし、タルコフスキーの映画も好きなんですけど、同時にアメリカのハリウッド的なものも押し寄せてきて、その中間というか、非常に西側の、特にアメリカ的なる部分で日本という国はあります。今ロシアが非常に困難な時期だと思うのですが、どういう方向にロシアは行くのでしょうか。

「難しいですね。このことはいつも考えているんですけれど、恐らくこの問いに対しては、私は答えられないのではないかと思います。私が『今はこうだけれど、必ず元に戻るよ。自分の国の独自的なもの、個性というものは必ず発展していくよ』と言うこともできるんだけれど、現実はそうはいかないと思うんです。結局、今のところ知的なものの蓄積があるんです。それをどんどん使い果たした時に、これは全く逆方向、今までとは違う方向に行く。即ち、先程おっしゃったように、非常にアメリカナイズされたものの中間、ロシアのものとアメリカナイズされたものの中間のようなもの、あるいは、コマーシャリズムのようなものに満たされる。あるいは、単に資源だけを売って行き、自分のものを生み出さない一種の裏切り的な行為というふうになるのではないかと思います。
 今は主にビジネスという言葉が流行っていますし、その事について語られます。しかし、現実はそれは単なる投機なんです。要するに、何処からか安く買ってきて、それをまた売って、またそれを売ってと、その利鞘だけで機能しているのです。何も生み出していないのです。
 今、スクリーンに安手の作品がどんどん出ていく。これも恐らく、その事と無関係ではないでしょう。お金が、或いは賄賂が非常に大きな役割を果たしている。だからスクリーンやテレビに流れる時間を、金で解決して、売っているのです。過去に創られた、いい作品がテレビで放映されるのは夜中です。おかげであまり沢山見られない。いい時間帯にいいものが放映されることはめったにありません。たまにゴールデンアワーにいい作品が放映されると、今度は三、四回コマーシャルがぶった切ります。これはちょっと考えてみれば分かることです。このようなコマーシャルを本物の芸術作品の間に差し込むことに反対することはノーマルなことです。レンブラントの絵の中に何か広告をはめ込むなんていうことは、無理でしょう。素晴らしい展覧会場に何かそういうものをはめ込む。トルストイの素晴らしい小説の中に、何か広告をはめ込む。おかしなことです。それと同じなんです。
だから、今のロシアの文化政策に、私は肯定的なものを見ません。これは芸術的な観点に欠け、芸術家を育てるのではなく全てがお金で解決されていますから。
 日本のことに移りますけど、ホテルのテレビには随分チャンネルがあります。それを全部見てみました。しかし、我々の精神を培ってくれるようなもの、心を養ってくれるような番組は一つもありませんでした。ですから、個人の空間というものが、段々意味のないものになってくるということを私は確認せざるを得なかったのです。
 こういう時にこそ、いわゆる思想的な特殊な動き――オウム真理教、あれも思想的な動きなんです――こうした野蛮性が生じるのです。彼等はこうしたもので何も培われない。意識が朦朧とさせられている人々、意識が眠っている人々を結局マインドコントロールしていく。そういう現象が起こってしまう。麻原彰晃は時々ロシアのテレビでも出演しました。彼が言っていることは、一体何を言っているのか、意味のないものでした。私は非常に驚いた。あたかも麻薬を使ったかのような非常に野蛮な一つの方向付け。人々を愚かにしていくような、そうしたことを彼は語っていたのです。
 本当にテレビ番組というのは、全く意味がない。何のためにこれを放映しているのかということにも全て考えがない。しかもその中で放送されるものも全く意味をなさない。だから、私は日本のこのようなテレビの状況を見たときに、地下鉄で起こった事件も、こうした現象と深く結びついているんだと思いました。しかも、今やロシアも同じなんです。」

――そうすると、ロシアにもオウム真理教の信者が二万とか三万人とかいますけど、大衆が置かれている位置というのは、ロシアも、今の日本の大衆も同じかもしれないんですね。

「そんなにオウム真理教の信者がロシアにいるっていうことは私は知りませんでした。ロシアでもあのような悲劇が起こる可能性がありますね。
 どんな権力でも、その権力の心には、人々を管理したいというような気持ちがあるんですね。とにかく、人に何かしてあげるというのではなく、人を操作するという願いを秘めているのです。どうして良いのかはわからないけれども、人の外見を見るのではなく、人の心の中を見ることを学んで行けば、もしかしたら、何か解決する糸口が見つかるかもしれません。しかし残念ながら、このような競争の社会、このような緊張状態の日常生活は、人々をゆっくりと眺めるというか、人の心の奥深くをゆっくりと見つめるという時間を失わせています。本当に睡眠もよくとれないし、寝る時間もあまりない、人生そのものを深く思考するということ、それが失われているわけです。
 本当にこのテーマについて語るのは難しいですね。映画を作っていく時のほうが、この問にお答えするよりやさしいですね。なぜかというと、同じようなテーマも扱うけど、頭の中はもっと、映画を作っていくということでアクティブになっているし、頭の中に詰め込まれてもっと深く考えられる。私自身は口だけで何か言うということは苦手なんですよ。今迄語った状態を何とかするための処方箋っていうのは、私自身には語れない。私ができることはきっと、映画を作ることだろうと思うんです。」

――僕ら日本人にとって『話の話』は非常に難しいけれども、非常に懐かしいような作品なんです。それは、はじめにノルシュテインさんが言ったロシア的なるものと、僕らが持ってる日本的なものが深いところで繋がっているのか、それとも、人間が一般に持っている気持なのか、そのへんはどうおもわれますか。ノルシュテインさんが今度は芭蕉をモチーフにした作品をつくりたいそうで、もしかしてロシアと日本の考え方とか感じ方は、底流でつながっているのかとも思いますが。

「芭蕉についての映画は、芭蕉の詩そのもの、あるいは芭蕉の過ごした人生的なもの、むしろ、修道僧についてみたいな映画です。だから芭蕉がモデルといっても、芭蕉そのものではないということをご理解ください。もちろん、この映画は日本というものを舞台にしますけど、私自身はあまり日本とか、そういう区分けをしていないんですね。人には境界、日本とかロシアとか、そういう国境みたいなものを越えてしまうというか、その国境が消えてしまう瞬間というものがある。例えば、何か目に見えない相互の交換というか交流みたいなものがある。言葉がわからなくても、お互いに理解してしまうことがある。それは、お互いの顔が言葉以上のことを表わす時なんでしょう。
 『話の話』はもちろん自分の国の人のこと、自分の国のことを考えて作りました。しかし、あるモチーフは、先程言ったように、国境を越えてしまうというか、消えてしまう。例えば、あの長廻しのシーンで洗濯する女性、あの姿は全世界の女性に共通するんです。青ざめた顔の少女が縄飛びしているけど、あれは世界中の青ざめた顔をした痩せた少女なんです。旅人もそうですね。世界中に共通する旅人です。私はこの最も明るい場面をフルショットで、しかも出てくる人達のキャラクター付けとか、何かタイプ分けとか、どこかの国の誰とか、そういうことは一切しなかった。そこには人々の日常生活を、女の子が遊んでいて、昼食をとって、旅人が通りかかって、招いて、また旅人が去っていき、お父さんは漁をして、お母さんは洗濯をしているというような、そのために人生があるというか、とても快い一時、そうしたモチーフとして描いたわけなんです。しかし、この隣には、悲劇のモチーフもある。戦線に赴く兵士達もいれば、そこで死んでしまう死のモチーフというものもあります。彼らは自分の家を守った、戦線に行って戦って。最終的には、先程フルショットで描いた平安というもの、それを守ったのです。自分の命を代価にして。」

――それは、ロシア的とか日本的というものより、もっと広いものですね。

「そういうふうにしたかった。そうじゃなければ、もっと別なものにしたでしょう。そして、ここのところは、映画に入れなかったでしょう。犠牲や戦死とかもそうですね。ロシア的というよりも人類的なものですね。破滅というか、悲劇というかね。」

――話を伺っていると、楽観的に考えれば、広大なロシアの大地というもの、いわゆるロシア的なるものがアメリカ文化というものをも飲み込んでしまう、そういうふうに考えることができるんですけど。

「そういうふうには思いません。いずれにしても、映画に関してはそうはいかない。しかも、ロシア作られているアメリカナイズされた映画っていうのは、プロフェッショナルで、高水準でたいへんな技法で作られているんです。なかなかそうはいかない。飲み込んでっていうわけにはいかない。だから悲しいですね。かつてはドキュメンタリーの世界、記録映画はたいへん力強いものがありました。今は個々の作品でそういうのはありますけど、資金がないし、非常に難しい。」

――ノルシュテインさんは、ユダヤ系のロシア人と聞いたんですが、今アメリカのハリウッドの映画資本の九〇%がユダヤ資本というときに、人種のところで共通項というものはないのか、あるいはそういう部分で、ノルシュテインさんとハリウッド資本というのは、結び付いてもいいんじゃないかと思うんですが。

「それは不可能です。ユダヤ系の私の知り合いが向こうに行ったとき、私の作品をスピルバーグに見せました。彼はものすごく気に入ったのですが、これをアメリカで上映する時は、彼は私と共同監督にしてくれと言ったのです。しかしこれはノルシュテインの作品だ。私はお金では買われない。そんなことをするんなら、私は家具を作ったり、靴を作ったり、靴直しをしたほうがいい。私は、あそこでは他人なんです。彼が私に共同監督ということでくれるお金の額は、彼にとっては何ともない。貧しい人にコーヒー一杯恵むようなものなんです。本当に驚きました。本当に不思議なことです。
 このことだけでなくて、私にはお金に関して、本当に信じられない、不思議なことばっかり起こる。フランスで共同でやろうっていったのに、やっぱりだまされて、結局お金を持っていかれたとか、そんなことばっかりで、信じられない話ですね。」

――スピルバーグに関しては僕らもちょっと困った人だなって、特に「シンドラーのリスト」はひどいですね。最近の映画もあまりかわないんですが。でも、アメリカでもお金を持ってて、芸術に理解のある人がかなりいるような気がするんですけど。

「アメリカには八七年と八八年の二回行きました。その時そういう人間が現れたんです。しかし、私の作品そのものが作り上げるのにはたいへん難しく、結局彼らの提示した条件に合わなかったんです。私は受け入れられなかった。そこで交渉は割れてしまいました。残念です。
 でも、今ここに来ていて、私のシチュエーションがだんだん良い方向に行くんではないかと思うんです。帰りましたら、まあ、私が辿る道をふさがれたりしなければの話なんですけども、今迄中止していた『外套』の製作を再開します。おそらく一四カ月ぐらいで第一部が出来上がると思います。」

――その話を聞いて、非常に嬉しいですね。

「私も何か病が快方に向かっていくような、心の中で少し気楽になってきています。」


初出:『コミックボックス』1996年12月号(Vol.104)
(『ユーリー・ノルシュテインの仕事』(2003年12月)に一部抜粋して再録)