『夜行』創刊のいきさつ

 (『COMIC BOX』1996年5月号(vol.102)掲載)

(『夜行』創刊号。『ガロ』と同じ版型。)




高野慎三 たかの・しんぞう

Profile :
北冬書房を主宰しながら池尻大橋で文具店を営む。権藤晋名義では「『ガロ』を築いた人々」(ほるぷ社)などがある。


 私は、青林堂を退職するひと月ほど前に、長井さんから「お互い足をひっぱるのはよくないからね」といわれたことばの意味を、今日まで測りかねていた。

 『ガロ』は、白土三平「カムイ伝」の第1部が終了する頃から徐々に変化を見せはじめた。つげ義春が休筆してすでに1年が経とうとしていた。激しかった“叛乱の季節”も終りに近づいていた。

 それでも私は、つげ忠男を柱に、佐々木マキ、林静一、大山学、鈴木翁二らを周りに配し、さらに仲佳子や花輪和一、棚瀬哲夫の気鋭の新人を加えた陣型で、間近に迫った“苦難の時代”を乗り切る考えを抱いていた。もちろん、そんな考えを一度も口にはしなかった。ただ、『ガロ』の経営者である長井さんは、その当時、大いなる不安感、危機感につつまれていたのだろう。その結果として、他雑誌で活躍していた作家に助けを求めたのだと思う。そして、商売を無視するかのごとく、より『ガロ』的(求心的)であろうとした私の態度に長井さんは不信感をつのらせたのかもしれない。

 私は私で“外人部隊”の参加によって大きく右旋回していく『ガロ』を茫然と見送る以外になかった。とはいえ、つげ義春によって切り開かれたマンガ表現の地平をそのままにしておくわけにはいかないと思った。佐々木マキ、林静一、棚瀬哲夫らが、つげ義春以後のすぐれた表現をみごとなまでに獲得していったからだ。時代の変転に合わせて、マンガ表現までもが後退する必要はないと思った。

 71年の暮れに青林堂を退社すると同時に、新たなマンガ誌を計画した。その際、『ガロ』の草創期に、“既成のマンガのワクを脱し、新しい創造を!”と謳った白土三平の精神を基本の理念におきたかった。したがって、それは、たんに旧“『ガロ』の復活”を試みようというものではなかったのである。

 72年、『夜行』を創刊した。つげ義春が、2年ぶりに力作を発表した。林静一、つげ忠男、鈴木翁二、古川益三、棚瀬哲夫らも全力投球をおしまなかった。大手取次の扱いをうけなかったが、3,000部を売り切った。『ガロ』の定価の三倍であったにもかかわらず――。

 その後のある日、渋谷の喫茶店で石子順造さんと会った。長井さんと懇意にしていた石子さんは、「長井さんが『夜行』をみて、もっても1年だろうね、といってたよ」といった。その口ぶりのなかに、石子さんも同意見だという感じがこもっていた。じつは、私も、もって2年か3年か、と予測していたのだ。であるから、長井さんや石子さんの感想も気にとめるほどではなかった。

 しかし、『夜行』は、わずかな読者に支えられて今日まできた。最初は年間2冊の刊行が、やがて年1冊となった。結局、20余年で20冊を数えたにすぎない。

 80年代の初め頃であったか、菅野修さんの結婚式が盛岡で挙げられたとき、長井さんが「一緒に行きませんか? 新幹線の切符の手配はぼくの方でしますから」と電話をしてきた。その頃、長井さんと私は疎遠になったままだったので、ちょっとびっくりした。

 新幹線の中で長井さんはウィスキーの小ビンをチビチビやりながら3時間、話しまくった。アルコールのダメな私は、もっぱら聞き役にまわった。その内容をここで詳らかにはできないが、いわゆる“面白主義”の扱いに苦慮している様子だった。私は、返事に窮した。なぜなら、“面白主義”に象徴される『ガロ』の急転回を望んだのは、ほかならぬ長井さん自身ではないか、と思っていたからだ。

 結婚式の前夜、菅野さんが長井さんと私を料理屋に招いた。そこでも長井さんは、酔いにまかせてだいぶ愚痴っぽくなっていた。あげくの果てには、「高野さんの方が正しかったのかもしれないね」といい出す始末であった。私も困ったが、菅野さんはもっと困っていた。

「正しい正しくないの問題ではないと思うんです。ぼくはあくまで趣味的人間ですから。長井さんとぼくとでは立場が違います。」と私がいい、菅野さんは、「『ガロ』がないとぼくたちの発表の場がないんです。お互いに頑張りましょうよ!!」と、必死に盛り上げようとしていた。

 菅野作品は、最初『ガロ』でボツ扱いとなり、「『夜行』にもっていったら」とまでいわれたそうだ。『夜行』が数篇を採用したあとで、『ガロ』でも採用となった。長井さんの名誉のために言いそえると、先の菅野さんの扱いは長井さんではない。料理屋での「菅野君にも色々と迷惑をかけてしまったねえ」との長井さんの発言は、そのあたりの事情をも物語っていた。

 湊谷夢吉、伊藤重夫、斉藤種魚、高橋太、新谷成唯ら『夜行』の作家たちは、残らず『ガロ』のボツ組である。それは、『ガロ』と『夜行』とが、異質であることの証しを意味するのかもしれない。


 だから長井さん! あの新幹線の中で、長井さんから「誰も劇画のことなんか考えてくれないんだよ」という弱音など耳にしたくはなかったのです。


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