


ロシアを代表するアニメーション作家であり、『霧の中のハリネズミ』『話の話』が世界アニメ史に残る最高傑作と国内外のクリエイターに支持され、絶賛された芸術家に課せられた創造の喜びと苦悩の日々
―――昨年5月に発行された「世界と日本のアニメーションベスト150」でノルシュテインさんの『霧の中のハリネズミ』が一位に、『話の話』が二位に選ばれました。その結果をどのように思いますか?
私はそれを聞いても非常に穏やかでいました。この事がロシアのTVや新聞でひろく報道されたんです。そこで「これであなたも楽になりますね」と言われました。仕事は私が私自身である限り、少しも楽になりません。自分が納得のいく仕事をすることを誰も助けてくれません。作家というのはひとりで孤独のうちに仕事をしなければならないので、どんな事が起ころうとも楽にはならないんです。
実は水の一杯のおいしさを味わうためには、のどが乾いてなければなりません。鋭く感覚するためには、ハングリーでなければなりません。ハングリーになるためには誰かがそうするのでなくて、そういう状況を自らが求めならなければいけないのです。ですから大きく成功をしたからといって楽になるとは限らない。むしろもっと大変です。その事によって注目されるからです。注目される事で自分をダメにする事もあり得るのですから、しっかりしなければいけません。それで、自分の希望や困難さを人に転嫁するわけにはいきません。また、ロシア政府からの援助、サポートは今までもなかったし、これからもないでしょう。なぜかというと、私がとても要求高い人間だからです。あれも欲しい、これも欲しい、という要求高さではありません。作品を作る上でどうしてもこれでなければいけないという意味の要求高さ、どうしても私の作品の中でこれが必要、つまり不可欠なものなのです。
今、多くの人々がCGに携わっています。私はいまだに手仕事で、撮影台を使っているんです。そうするとフィルムもいるし、あれもいるし、これもいるし…という事があるんです。そうすると、まわりは「みんなコンピューターでやってるよ、そんなもの必要ないよ」と言い、私はとってもイライラさせられます。そして「お前さん、どうしてコンピューター使わないのか」と。そう言われても私は使えないのです。私は自分で作って感覚したいのです。芸術作品を作る上で、自分の声で語る、自分の声を保持する、という事は重要です。私たちの周辺には誘惑がいっぱいある、特にお金です。良い条件を提供されると、そちら側に軽くいってしまうと偽ものができてしまう。この世に本物が少なくなっています。でも本物を作っていかなければなりません。
私はやっぱり今回のアンケートで一位になった事に非常に驚きました。もちろんいろいろな国の人が参加していますが、これは日本で行われたからではありませんか。もしも他の国で行われたのならば、こうならなかったのかもしれません。そういう意味で、果たして本当に全世界でやってみて本当にそうなのか、というのはわからないですよね。
―――そもそもアニメーションを志したきっかけというのは?
毎回、この質問に対して応えると、いつもインタビュアーをがっかりさせるんです。私はまったくアニメーションとか、映画監督とかを目指さなかった。大体私の辞書には監督、という文字がなかったのです。私は61才になりますが、いまだに私は何をやっているんだろう、という迷い、悩みがあります。いつも思うんですが、この悪夢が終わって、本当の自分の人生が始まるんじゃないかと。私は決してコケットリーとして言っているんじゃないんです。国では私は成功者と見なされています。しかしながら実は何も残らないんです、この苦味以外…。なぜかっていうとアニメーション芸術というのは、多くの人々から何かしら本物ではない、偽ものとして受け入れられているんです。つまり、人間の思想、人間の生き方、人間の感覚、考え方に関係のないものとして、多くの人はアニメーションを受け入れているからです。
例えば、ロシアでは「作家」というのは巨大な意味を持っていたのです。長編小説、文学作品をものすごく読みました。評論も読みました。実はチェーホフの友人であった画家のレビタンという人はロシアの自然の謳い手といわれる画家なんです。実はその時頃トルストイが芸術論を書き、その事をレビタンはチェーホフに手紙で「なんとすごい評論だ、なんて恐ろしい評論だ、だけど興味深い」と書いています。芸術とは何か、というこの評論を私自身も読んでいるので、このレビタンの手紙を非常に興味深く読みました。私が住んでいた地区に図書館があり、私はトルストイの作品などを読むのに通いました。ここに「文学と芸術における諸問題」という二巻のトルストイの本があります。これは誰も借り出さない。おそらく私が真っ先に借りて、私だけが読んだというような…。なぜこんな事を話しているかというと、そんな時代がくるでしょうか?。例えば人々が出会って
「あのアニメーション見た? 僕の人生にすごい発見をさせてくれたよ」
「僕の人生にすごい影響を与えてくれたよ」
…なんて会話が交わされるようなアニメーションが上映される時代がくるでしょうか? 私達はみんな本物を作っていかなければいけないんです。ここでこれが本物だ、という事を言えませんけど、だけどやっぱり、人々のために本当のものを作っていかなければいけないんです。そうしたらアニメーションは先ほど言った文学作品よりも、文学作品を読む人々がそれぞれひとつひとつの言葉を自分の言葉にしていったというように、アニメーションもそのような影響を人々に与える事になるでしょう。もちろんそんな風にならないかもしれないけれど、少なくともとても良い、本物の作品を作って、とても重要な文学作品が与えるような力、こういうものに近づくようにならなければいけません。その時こそ、アニメーションはもしかしたら本当に偉大な芸術に変容しうるのでしょう。
プーシキンはこう言いました。「詩人の言葉は彼の仕事の本質だ。」
このアニメーション作品は、この監督の人生に対する態度、そして思想、そして彼の仕事の本質なんだと、私はいつか言われたいのです。外国の人は私達がたえずプーシキンを引用するのを不思議に思うかもしれません。というのはロシア以外の国の人々はドストエフスキーのほうを良く知っているんですね。というのはドストエフスキーのほうが翻訳しやすいんですね。
「偉大な思想の音楽的な始まり」というのもプーシキンです。なぜかというと彼の作品は遊びであると同時に、本物であり、そして悲劇である。これが全部一緒になっているんです。プーシキンはいつも悩んでいます。そして、死を前にして、あらゆる事があふれるようにわかるだろう、死を前にして、そのギリギリの感覚のところで人はわかるのだろう。それは死を恐れると言うのではなくて、最後まで自分の長所を守る、自分らしさを守り抜く、自分である事を守り抜く、という事なんです。その自分というのは、良心がある最良の自分のことですけれどもね。ドゥルッドゥルッ!ア〜!ウアー!(銃声や叫び声のマネをする)今の映画はみんなこうです。死が何の意味もない。すなわち人生そのものさえも何も意味もない。ですから生きる事と死ぬ事、これは両方とも意味があって、死が意味を持つ時、これは生きる事が意味を持つ。ですから人を殺しても何でもないとか、そういう時に生も意味を持たなくなります。ロシアでは、プーシキンの作品においてそれはいつも意味があったし、どこの国にもそれがあったのです。
ある時、私達はナターリャ・グッドマンという世界的に有名なチェリストに招待されてホスピスセンターに行き、死を前にした人々の快い時を、講演したり、ロストロポーヴィッチも演奏しました。その時にそこの所長は言いました。
「死を前にここにやってくる人は、どういう人生を送ったか、どういう死に方をするか、もうわかるんです。」
ナターリャの夫でオレーク・カガンというバイオリニストは、死の少し前に、ユーリ・バシュメットというビオラ奏者に電話して「こっちに来てくれよ、一緒に演奏しようよ」と言いました。それでカガンの状況を知ってたユーリ・バシュメットはびっくりしたんです。死を前にして一緒に演奏したんです。これこそが生きる意味なんです。この時こそ、あらゆる考えが自分の場所を得るのです。ですから私はアニメーションがいわゆるプーシキンや、リヒテルやオレーク・カガンや、そういう人たちが意味を込めたような「芸術」の一部分になる事をとても願っています。そういうものに出会ったから、一位になるかと二位になるとか、そういうふうに選ばれたという事で、それに狂喜する、という訳にはいきません。それで私はこれによるあらゆるインタビューを断ったりしたんです。
―――作品を生み出そうとするエネルギーは一体どこからくるのでしょうか?
もしかしたら、文学かもしれません。美術かもしれません、私にそういったエネルギーを与えてくれるのは。もしかしたら私の子供たちの、私の孫たちのまなざしかもしれません。時にはもしかしたら、秋の森の中で雨の雫が葉っぱをつたって落ちてゆくんですね。その雫の落ちる様を見ていると、どんな力もこれをとどめる事ができない、と思われます。そうしたものが私に力を与えてくれるのかも知れません。
もうひとつは、私は先輩たちの人生をみているんです。よく仲間が大変だ、とか、生活が大変だとか不平をこぼす、グチをこばす、泣き言を言う…その時に思うんです、マンデリシタームという詩人がいました。この人は素晴らしい作品を残しながらも体制側に抹殺された悲劇の詩人です。こういう人たちの人生を考えたら、自分たちが抱えている困難さとか、大変さなんかはものの数ではない。私は大先輩たちの事をいつも考えています。ダンテも、ミケランジェロも、ソルジェニーツィンも追われた…。素晴らしい女流詩人のアフマートワは最初の夫を殺され、そして二番目の夫も殺され、そして息子も長い間投獄された中にあって彼女は彼女であり続けて、決して妥協をせずに詩集を残しました。そのような人々を前にして私はいつも「恥」を持っています。泣き言を言う、グチをこぼす、そういった事に対して私はこの人たちの前で「恥」を感じます。芭蕉もそう、豪華で楽な生活でゆったりしたことなどないでしょ、いつもひどい生活の中で旅をして…。もし弟子たちが彼にお金をくれて、楽な生活をしたら彼は気が狂ったでしょう。彼は、そういう人ではありません。
ナターリャ・グッドマンが語ってくれたんですけれども、リヒテルという偉大なピアニスト、この人も絶えず途上にありました。いわゆる旅行するという意味ではなくて、絶えず上昇志向を持ち続けていたんです。全生涯でとても高いギャラをもらっていたのにも関わらず、一銭も財産はなかった、豪華なものは買わなかった。彼は豊かになる事をとても恐れていた。一日に40キロも歩いた。そうするととても落ち着いた。だから道こそ彼の人生だったのです。
…金色の蜜の樽から、金色の蜜の雫が流れている。ゆっくりゆっくり流れている。私達はその中で退屈することなどない、ふと働く蜜蜂をとおして、このことを見ると…
という意味ですね。これはマンデリシタームの詩なんです。私がとても辛い時に、この非常に美しい詩を思い出すんです。これこそは芸術にとっての滋養なんですね。たくさん周辺にあります。
私がスタジオに電話したら友人たちが出ました。この人たちはみんな忙しい人たちなので、なかなか会えないんです。だからユーリーが帰ってきたら三人で会おうね、って。もうそれがうれしくて、友と会う事がね。プーシキンの詩にもあるんです。「全てを忘れて甘い静けさの中で、そうすると私は甘い夢から目がさめて、こうしてギュッとしている緊張をといて、その時自由に詩が生まれてくる」。そう、詩が震えておののきながら、この自由を獲得して生まれてくるんです。そのように友人と会った時に全ての緊張感がとれて、そして自分の自由な気持ちがフワーッと発露される。私はその時をおののきながら待っているんです。それもやっぱり私に力を与えてくるひとつの大きな力ですね。
―――一本の作品を終えると、自分の中に何も残らないと言う事ですが。
それは本当です。私だけでなくどの監督もそうなんではないんでしょうか? ほとんど映画の出来上がった後に死んでしまいます。なぜかというとすっかり空っぽになるんです。そしてこの空虚さ。だからこの瞬間に他の事をやらなければもう死んでしまうんです。あまりにも投入し過ぎて、この空白感、空虚さ、これは恐ろしいんです。自分の巨大な世界が全部、フィルムの中に入ってしまって何も残らなくなるんです。映画は病気、でも映画を作った後も病気。
―――映画を作る上で最も楽しい時は?
一番、楽しい時は、まず構想して、美術監督とかとキャラクターとか、いろいろなものを探して、それがアーッとわかって、我々が行かなければいけない「道」が見つかってきて、この「道」に辿りついて、こういけばいいんだっていうそのモメントですね。ところがまた、今度は撮影が開始される頃に、最もまたつらい時がやってきます。この時期はものすごく長くつらくて、例えばイメージとして言うならば、この白い紙の部分に白い斑点ができますよね。それを撮影していって、うまく相対関係が作る事ができればいいのですけれども、相関関係が出来て、キャラクターたちの間でごく自然な関係が出来上がってきて、その時に、この先がわかる瞬間がある。それができるまでがものすごくつらいんです。この最後までのモメントはこれは途中で死んじゃうんじゃないかとか、ダメになるんじゃないか、というそのような感覚は恐いですね。こういう時には夢中になって狂気になったようにさかんに喋りまくる。それはやっぱり、私がこの先どうなるのかわかっていない、例えば私が事故にあってしまったら、ああ、良かった、とスタッフも思う。いや、この先わからなかったんだよ、ここで終えといて良かった、となるのが一番の侮蔑的というか、恐いんです。だから最後までわかりたいんですね。見えてくるような状況になりたいです。作品を作っている時は、『話の話』の時もそうだったけれども、何かが起こって、もうこれをしなくてもいい、という事にならないかな、って思う訳です。この先、どうしたらいいかわからない、というモメントがくる訳です。私のスタッフたちの前でとっても恥ずかしいし、それで私自身は彼らをガッカリさせないためにも、私は知っているっていうそぶりをしなければならない。それも私は嫌なんです。自己嫌悪に陥る原因でもある。もし何か起こったら監督だけの責任なんですね。
―――ありがとうございました。(了)
(2003年7月16日編集部にて 通訳/児島宏子)
本誌のユーリー・ノルシュテインインタビューの記事中にに下記の誤りがございますので、お詫びとともにここに訂正させていただきます。
P166 3段6行目
(誤)プーチン → (正)プーシキン
P167 1段10行目 (誤)チュリスト → (正)チェリスト
P167 3段17行目 (誤)上昇思考 → (正)上昇志向
P168 3段19行目 (誤)2002年 → (正)2003年
ユーリー・ノルシュテイン公式サイト「ユーリー・ノルシュテインの仕事」もご覧下さい。→http://www.comicbox.co.jp/norshtein/