Takahata ISAO
スタジオジブリの講演で、芸術家の仕事というものについて語りながら、ノルシュテインさんはミケランジェロのロンダニーニのピエタにふれました。未完の「外套」をかかえるノルシュテインさんにあまりにもぴったりだったので、彼の言いたかったことに耳を傾けるまえから私はうんうんと頷いてしまいました。この、八十歳を超えたミケランジェロが未完のまま残したピエタ像を、昨年ミラノで私はじっくり見たことがあったのです。
大理石のなかからあんなにも見事な彫刻群を取り出してみせたミケランジェロが、晩年に至り、いくつもの未完の作品を残すようになった。老いなのか多忙のゆえなのか、その理由を私は知りませんが、少なくとも、極限まで削り取られたこのピエタは、ミケランジェロがこれ以上は彫りすすめない、彫りすすめてはならない、と感じたからこそ未完のままに残したのだとしか思えませんでした。それほどに粗削りのピエタ像はきびしく、完璧に見えました。計画変更のあとも生々しく残るこの像を、完璧と言うのはいささか奇妙かもしれませんが、ほんとうにそう思えたのです。ロンダニーニのピエタは現代までの彫刻の全歴史を一身に体現して、見るものの想像力を刺激しつづけながら、しずかにそこに立っていました。
■神戸映画祭で行われたノルシュテイン・高畑対談にて。
頭や心のなかにどれほど素晴らしいイメージが形作られたとしても、それを現実の具体的イメージとして、人の眼に見える姿や表現として取り出すためには、おそるべき苦闘が待ち構えている。芸術とはすべてそういうものかもしれません。しかし同じ彫刻でも、塑像によるものとはちがい、大理石を刻んでかたちを取り出すには、よほどしっかりとそのイメージを頭のなかに刻み込んでおかないと、像はあやふやなものになってしまうでしょう。しかも、いかにイメージが鮮明でも、たったひと彫りのあやまちで、一瞬のうちに像をだめにしてしまう危険がつきまといます。彫りながらイメージを模索することがないわけではないとしても、天才とそうでない人のイメージの差や力量の差が、これほど歴然とする芸術分野はないのではないか、と思います。しかし、ミケランジェロは、造形の天才であることを見事に証明しつづけた果てに、ひょっとすると、自分のうちなるイメージが鮮明すぎること、雄弁すぎることに疑問をもちはじめたのではないでしょうか。イメージをもっと神(自然)にゆだねるべきではないのかと。
素人のたわごとかもしれませんが、そんなことを考えさせてくれたロンダニーニのピエタを、ノルシュテインさんは芸術の究極の指標として挙げたのです。
スタジオに入り、灯をつけて、彼のキャラクターに命を吹き込むための仕掛けを、すなわち机の上に並ぶ膨大な数の分解された部品を見たとたん、脱いだ帽子をあわててかぶりなおし、回れ右をしてスタジオを出ていきたくなる、いや、実際に出ていくこともある。しかし、やはり戻ってきて仕事をはじめるしかないのだ。笑いながら、そうノルシュテインさんは語りました。
分解と再構成の果てしない繰り返し、しかも空間表現と時間表現の両面を同時に成り立たせるべく行なわなければならないあの恐ろしいほど煩雑な仕事を考えると、ノルシュテインさんの場合もまた、自分のイメージがよほどしっかり頭のなかに刻み込まれていなければ、また、それを忠実に取り出したいという意志がなければ、そしてそれが自分を駆り立ててくれなければ、とてもあんな仕事はできないと思います。試行錯誤や模索の許されない分野ではないけれど、煩雑さのなかに埋没したり、疲れて妥協したり、ともかく芸術家っぽいだけの人にもアニメーションをアイディアや設計と心得ている人にも絶対に無理でしょう。
やはり「外套」のトルソーはトルソーのまま、無音のなかで息を詰めて見るべきです。あれは「外套」という作品の一部であるとしても、すでにして、アニメーションにおける芸術的探究行為の結晶なのです。「外套」がたとえ未完に終わっても、ノルシュテインのアカーキイ・アカーキエヴィッチは強烈な存在感をもって私たちに語りかけ、極北の星として、アニメーションにたずさわるものをつねに啓発しつづけると思います。
神戸での映画祭の会場に着いたとき、玄関まえの敷石に有名な銅鐸絵がデザインされているのがたまたま眼に入りました。私も大好きな絵なのでノルシュテインさんに注意をうながし、三世紀! などといい加減な年代を言いました。教科書に必ず取り上げられているこの銅鐸は、地元の灘区桜ケ丘神岡の出土品で、ほんとうは一世紀のものでしたが、それはともかく、ノルシュテインさんは大変興味を示し、そこにデザインされていたスッポンやサギやカエルをくわえたヘビやカマキリやトンボやイモリなどをすべて見てまわったのです。うまいうまいと声をあげ、特に一筆書きのようなカエルにすっかり感心したようでした。私も通訳の児島さんもうれしくなりました。いったん会場の控室に入ってから、ノルシュテインさんは、紙とペンをもってそのデザインを写しに出ていきました。他の人と話していたので残念ながら写すところは見ませんでしたが、あらためて奈良を案内できなかったことが悔やまれました。京都を何箇所かご覧になったようですが、私は戒壇院の四天王像や興福寺の阿修羅など八部衆や十大弟子の表情をぜひとも見せたかったのです。
いま、児島さんを通じて写真集を送りたいと考えているところです。
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■神戸映画祭会場の玄関にて。右から高畑さん、通訳の児島さん、ノルシュテインさん。 ('96年10月29日) |
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